2007-02-23(Fri): 京都国立近代美術館でインタビュー

別件をいろいろとこなしつつ、新着・新発見リソースで紹介した電子メール討論会「揺らぐ近代 揺らいでいるのはなにか?」について取材。内容は3月5日配信の第272号に掲載する予定。

・「京都国立近代美術館、電子メール討論会「揺らぐ近代 揺らいでいるのはなにか?」を開始」(新着・新発見リソース、2007-02-09)
http://d.hatena.ne.jp/arg/20070209/1170980871
・電子メール討論会「揺らぐ近代 揺らいでいるのはなにか?」
http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2006/351interaction.html
・展覧会「揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに」
http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2006/351.html
京都国立近代美術館
http://www.momak.go.jp/

インタビュー後、展覧会「揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに」を鑑賞。展覧会のコンセプトからすれば、高橋由一狩野芳崖の作品が目玉だとは思うが、個人的には萬鉄五郎の「もたれて立つ人」(1917年)をみれたのがよかった。「もたれて立つ人」は記念切手「近代美術シリーズ」第2集(1979年6月25日発行)で図案として採用されたことがあり、その切手によってこの絵を初めてみたことを覚えている。それまで写実的な絵画しか知らなかった自分にはそのときの印象は相当強かったのだろう。

そんな感慨に浸りながら「もたれて立つ人」をみて思ったのだが、切手の図案に採用されたことによって、その絵画が美術界での評価とは違う形で一般に知られるようになったりしないのだろうか。もちろん、記念切手の図案に採用されるのはその作家の代表作であることが多いだろう。だが、当然ながら代表作が一つというわけでもない。実際、萬鉄五郎には 重要文化財に指定されている「裸体美人」(1912年)という代表作があるということだが、いま調べるまで自分はその存在を知りもしなかった。1970年代から1980年代にかけての切手収集ブームが、たとえば菱川師宣=「見返り美人」、高橋由一=○○○、萬鉄五郎=「もたれて立つ人」という固定観念を生んだりはしていないのだろうか。

程度の差はあるだろうが、同様のことは小学校の図画工作、中学・高校の美術の教科書にもいえるだろう。検定教科書の影響力は相当なものではないだろうか。時代時代によって、教科書に採用される作品にはどのようなトレンドがあったのか、そしてその教科書によって美術教育を受けた人々の美術作品の認識にはどのような差があるのか、といったことを研究している人はいるのだろうか。一度調べてみたいテーマである。

・「もたれて立つ人」(文化遺産オンライン)
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=13494
・「裸体美人」(文化遺産オンライン)
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=80653
萬鉄五郎記念美術館
http://www.yorozu-unet.jp/

なお、京都国立近代美術館ミュージアムショップとカフェが併設されていて、そこには入場料不要で入れるようになっている。これはいい。ただ、ミュージアムショップには京都国立近代美術館ならではのグッズがなかったのが残念。「ロゴ入りミュージアムグッズがほしい」(編集日誌、2007-02-20)でも書いたが、美術館のプロモーションの一環として、グッズの向上を心がけてほしい。

ところで、今回使ったあらためて思ったが、文化遺産オンラインには改善すべき点が多い。けっして現状を否定的にとらえているわけではない。収録されているデータを生かす方法がまだまだ手つかずのまま眠っているといいたいのだ。美術作品に限っていえば、たとえば、

  1. その作品はいつどのような展覧会に出展されたのか。
  2. その作品がどのように二次利用されたのか(例:切手)。
  3. その作品が文化財に指定された年月日はいつなのか。

といったことがわかるデータベースに発展していくと、様々な使い方ができる。そして、様々な使い方は様々な発見を生むことだろう。

文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/

その後、京都国際マンガミュージアムへ。「京都国際マンガミュージアム だんだん地元に定着」(産経新聞2007-02-14)という記事を読んでいたので、実際の雰囲気が気になっていたのだが、確かに明らかに地元の方々と見受けられる利用者が多い。ランドセルを背負った学校帰りの小学生や買い物袋を提げたおば様たち、そして営業途中でしばしの休息をとっているサラリーマンがマンガを読みふけっている。
ミュージアムでは、国内最終開催という「GUNDAM〜来たるべき未来のために」展をみる。1973年生まれでガンダム世代の自分としては関心があっただけに、今回の京都滞在中に開催期間が重なったのは幸い。展示作品はガンダムをキーワードにした現代アート。正直なところ現代アートは理解不能と思ってきたが、ガンダムという作品に刺激を受け、あるい着想して、様々な作品が生み出されていること自体が非常に衝撃的だった。作家たちの感性に脱帽してしまう。なお、GUNDAM展は3月25日まで開催されている。

京都国際マンガミュージアム
http://www.kyotomm.com/
・「京都国際マンガミュージアム だんだん地元に定着」(産経新聞2007-02-14
http://www.sankei.co.jp/books/news/070214/nws070214000.htm
・「GUNDAM〜来たるべき未来のために」展
http://www.kyotomm.com/2007/01/gundam.php

さて、2つの美術館を訪れて別に考えたことを一つだけ記しておきたい。ミュージアムにおけるボランティアスタッフの存在についてである。

京都国立近代美術館では入口からミュージアムショップやカフェのあたりでボランティアスタッフが来館者に手当たり次第に声をかけ、アンケートの記入を求めていた。記入をことわる人に対して執拗に依頼し続けており、まるでキャッチセールスのようにみえた。ボランティアの方々の行為は善意に基づくものだろうが、あれでは結果的に美術館にまた来ようという気持ちを失わせてしまう。

京都国際マンガミュージアムでは、作品の側に立っているスタッフの多くがボランティアだったようだが、一部のスタッフのおしゃべりがとにかくうるさかった。まったくの無言を貫くことまでは求めないが、作品鑑賞に集中したい来館者への配慮がなさ過ぎる。京都国際マンガミュージアム自体がまだ始まったばかりであり、ボランティアスタッフの質向上はこれからの課題だろうが、早々に改善してほしい。

どちらのケースもボランティアスタッフはもちろん善意でそこにいるのだろう。そのことは疑わない。だが、来館者からすれば、ボランティアだろうが職員だろうが、美術館のスタッフであることに変わりはない。京都国立近代美術館にしても国際マンガミュージアムにしても、そこでボランティアをしたいと人が多数いるほど、それほど高く評価され愛されているということだろう。それならば、ボランティアスタッフには自分が愛するミュージアムの評価を落とすことがないよう、自分たちの行動が来館者にどのような印象を与えるのか、よく考えてほしい。ミュージアムの職員も、迎え入れた以上はボランティアスタッフのあり方に無関心になってはいけない。スタッフ全員、ミュージアム全体のイメージや評価に関わることととらえ、具体的な改善へと行動してほしい。