2007-06-06(Wed): 専門図書館協議会の全国研究集会に参加して

すでにこの日誌でも紹介しているように、

・「専門図書館協議会総会・全国研究集会の1日目」(編集日誌、2007-05-31
http://d.hatena.ne.jp/arg/20070602/1180750016
・「専門図書館協議会総会・全国研究集会の2日目」(編集日誌、2007-06-01
http://d.hatena.ne.jp/arg/20070602/1180750015

先週末は専門図書館協議会の全国研究集会に参加した。この催しは毎年開催されており、「立ち上がれ!ライブラリアン NEXTステージへ…」を総合テーマに掲げた今年は、全国から300人の参加者があったという。私自身は個別に開催される分科会と最後に一堂に会して行われる全体会には、パネリストとしても参加させていただいた。その際、用いた資料を再度掲げておこう。

・「Web2.0と図書館−BlogとRSSの活用を中心に−」
専門図書館協議会平成19年度総会・全国研究集会第4分科会、於・日本科学未来館2007-06-01)【PPT】
http://www.ne.jp/asahi/coffee/house/doc/sentokyo_sig(20070601).ppt

・「専門図書館員に求められるもの−Webへの取り組みを中心に−」
専門図書館協議会平成19年度総会・全国研究集会全体会、於・日本科学未来館2007-06-01)【PPT】
http://www.ne.jp/asahi/coffee/house/doc/sentokyo_conf(20070601).ppt

さて、2日間をふりかえっての感想を記しておきたい。

Web2.0と図書館」を共通テーマとした第4分科会には70〜80名ほどの専門図書館員にお越しいただいたようだ。第4分科会は、

  • 岡本真「Web2.0と図書館−BlogとRSSの活用を中心に−」
  • 林賢紀「農林水産省農林水産研究情報センターの取り組み事例」
  • 小林昭夫「専図協の情報発信事例」

の順序で各自が壇上で報告した後、会場の参加者を交えたディスカッションという構成だった。しかし、残念ながら盛り上がった討論とはならなかったように思う。あくまで私自身の反省としてだが、Web2.0という話題を扱う場合、もはや講演のようなスタイルは意味を持たないのかもしれない。人数は多くなくとも、ワークショップのような形式で参加者が実際に何かを作り上げるというプロセスのほうが参加者にとっても講師にとっても有益であるように思う。ブログを開設してみることでもよいし、ソーシャルブックマークを使ってみることでもよい。なんであれ、実際に手を動かすという行為を伴ってこそ、Web2.0というテーマは意味を持つだろう。そのような機会があれば、自分のためにもぜひやってみたいと思う。

第4分科会の終了後、同じみらいCANホールで引き続き行われた全体会についてもふれておこう。「立ち上がれ!ライブラリアン NEXTステージへ…」という総合テーマを掲げた場ということもあり、専門図書館(員)によるウェブでの発信が進まないことへの疑問を投げかけた。無礼を承知でかなり強いトーンで専門図書館員の奮起を促したつもりだが、その後の討論では手応えをさほど感じられなかったように思う。残念。

だが、こう思う。午前中に参加した第3分科会の講師・牟田静香さんが、企画した講座に人が集まらないのは、企画が悪いためであり、その責任は企画者である自分自身が負うと自信を持って語っておられた。牟田さんの矜持にならえば、参加者の自然な発言を促すことができなかったのは、私の講師としての力量不足によるものだ。牟田さんは「講座に人を集めるために必要なのは客観性」であるとも述べていたが、冷静に分析すれば、参加者を衝き動かすには自分の問題提起の仕方には客観性が欠けていたようにも思う。この点は殊勝になるわけではなく、素直に反省したい。言葉の力を信じる自分としては、言葉で人の気持ちを揺り動かすことができなけくてはいけない。そして、気持ちを揺り動かすだけではなく、行動へと駆り立てられなくてはいけない。

できるだろうか? 実現は困難だろうか? 一瞬逡巡する自分にこそ、研究集会の場で迷いつつも結局紹介しなかった次の言葉がふさわしい。

「出来る」と言うときには、たった一つの手立てがあれば良いが、「出来ない」と言いきるには、あらゆる可能性を探さなければ言えない。「出来る」と言うより、「出来ない」と言う方が難しい。

島秀雄・新幹線や国産ロケットの開発者)

そして今日、まったく別件で村井純さんにお目にかかった。ごく限られた時間ではあったが、村井さんの文字通り情熱がほとばしるような弁舌に接し、村井さんが『インターネット』(岩波新書、1995年、735円)で説いた「北風と太陽」の話をあらためて思い出した。

いま、「インターネットを使わなければ時代に置いていかれる」という強迫観念を感じている人がいるかもしれません。確かにそうした恐れを煽るような情報もあるし、そういう伝え方をする人もいます。
しかし、いままでのインターネットの発展の歴史のなかでは、そういう発展の仕方をしたことは一度もありませんでした。
われわれは「北風と太陽」と言ってきました。「こういうものを使わなければ困ったことになるぞ」と、強迫観念を与えてものごとを推進していこうというのは、いわば『イソップ物語』でいう「北風」です。そうではなくて、「こんなによいことが起こるのだ、こんなに有効なものなのだ」と、まずコンピュータ・サイエンスの分野が成果を示し、そしてほかの分野を動かしてきたのです。
「太陽」のやりかたというのが、インターネットのいままでの発展を支えてきたのではないか、これからもインターネットはそのような形で発展していくのではないかと思っています。
(205〜206頁)

村井純さん
http://junsec.sfc.wide.ad.jp/people/JunMurai/
村井純『インターネット』(岩波新書、1995年、735円)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4004304164/arg-22/

インターネット (岩波新書)

初心忘るべからず(世阿弥「花鏡」)。北風となるより太陽となろう。この初心にいま一度帰りたい。

ここで締めればきれいだが、一つ二つだけ専門図書館の世界に生きる方々に苦言を呈しておきたい。

参加者のお一人からも指摘があったが、せっかく参加するのであれば、ただ聞いているのではなく、どんな内容であっても発言したほうがいい。自分の疑問に答えが寄せられる可能性があるだけではない。仮に発言した内容が空振りであったとしても、名前と所属を名乗ることによって講師や他の参加者に自分自身、そして所属する組織が知られるまたとない機会となる。ここは貪欲になったほうがいいと思う。

もう一点。これは午前中に参加した第3分科会で思ったことだが、講師を特に外部から招いている場合は、必ずお一人おひとりに対し、誰かがわずかでもコメントしたほうがよい。ゲストである外部講師に対しては、専門図書館協議会の会員館の職員は全員ホストの立場にある。時と場合によっては、参加者という立場に安住せず、ホストの一員としてゲストに対するホスピタリティーを尽くしたほうがよいと思う。

これは単に全国研究集会という場を有効に生かすためのアドバイスとしてお聞きいただければ幸い。

・「全国研究集会が無事終了しました」(SENTOKYOブログ、2007-06-04)
http://blog.goo.ne.jp/sentokyo/e/effc9b234062d157484ca58a4b91a8c2