2007-08-17(Fri): 74年ぶりの国内最高気温
昨日、8月16日は岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市で気温40.9度を記録し、1933年7月25日に山形県山形市で記録された40.8度を74年ぶりに更新したと報道されている。しかし、専門家の見解には、また異なるものがあるようだ。牛山素行さんが、
この情報は、間違いというわけではありません。「日本の気象官署及びAMeDAS観測所における最高気温」は、1933年7月25日の山形における 40.8℃ですから、これを更新したことは確かです。しかし、これより高い気温がいくつか記録されていることも確かであり、よく知られているところでは、 1923年8月6日の徳島県撫養における42.5℃という記録があります。
・「「国内最高気温更新」と言ってよいものか」(豪雨災害と防災情報を研究するdisaster-i.net別館、2007-08-16)
http://disaster-i.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_a79a.html
と書いている。ぜひ一読を。
ところで、74年前の1933年7月25日とはどういう年だったのだろうか?
田中明彦研究室のデータベース20世紀・21世紀年表でこの日を引いてみる。
・田中明彦研究室
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/
出てくるのは「蒋介石、廬山会議開催」。「廬山会議」とは? Yahoo! JAPANで検索してみると、その日の大阪毎日新聞の記事「列強に利権を与え日本外交を牽制 勿論長期抵抗は変更せず 国民政府の新方針(廬山会議)」が出てくる。
これは神戸大学附属図書館の戦前期新聞経済記事文庫データベースに収められた記事の一つ。電子化された記事からリード文だけ引いておこう。
北支時局の一段落を機として蒋介石氏首唱にかかる廬山会議は汪兆銘氏以下政府首脳者出席、対日問題を中心に察哈爾、新彊両省の善後策など国内問題を討議しているが北支における日支停戦協定締結後漸次日支関係は正常化されんとする機運が萌しつつあった折柄、世界経済会議に出席した宋子文氏が国外にあった政府部内の欧米派と策動して汪兆銘、黄郛氏らの対日接近策を攪乱し、国民政府は再び排日策に還元する傾向があるので宋氏の帰国を前にして廬山会議の成果は異常に注目されている、確聞するに対日策を中心とした国民政府の新外交方針は大体左のごとく決定した模様である
なるほど。