2008-04-01(Tue): 想像力や当事者性という問題−藤原重雄さんのコメントを受けて

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ここで話題にすべきか悩んだのだが、先方はログを残さないスタイルのようなので、やはり書き留めておこう。

藤原重雄さん(東京大学史料編纂所)から、以下のようなコメントをいただいた。

評価だとか公開だとかの圧力をかけて、研究者に緊張感を持たせるのもよいのだが、それがかえって研究活動の本体を蝕んで、萎縮させていることにも気を配っていただけると有り難い。今年度のうんざりイベントのひとつが、画像史料解析センターの設立10周年行事で、大部な報告書(重いですよ)<http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/gazo/CSVS_10report.pdf>【PDF】をまとめることになり、関わったプロジェクトの報告を書いたり目を通したりした。大部分を税金でまかなって頂いている側として説明責任もあるし、世間に理解を得るための活動も必要であるが、業務報告をまとめるようなエネルギーは、別のところに使うのが本来のあり方だろうと、やっぱり思うのである。
そうした報告書に対してこうした論評<http://d.hatena.ne.jp/arg/20070812/1186850913>を読むことになると、正直げんなりするし、基本的に、人員・予算が圧縮されてゆく研究の現場でデジタル系業務の領域を拡大しようとする〈政治的〉立場からと認識するのがよいのだろう。関連記事<http://d.hatena.ne.jp/arg/20070409/1176074046>にも触れておけば、ここに至るまでを想像してもらえないのには、疲れがきてしまう。個人や弱小機関の努力や善意では、もうどうにもならない逆の方向へと事態は進んでいるのだが。

・近況 2008年3月
http://www.asahi-net.or.jp/~YE6S-FJWR/

※URLや【PDF】の注記は引用者が挿入。

・藤原重雄さん
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/personal/fujiwara/

藤原さんの文章で挙げらてれいるのは、以下の2つの記事。参考までに再掲しておこう。

東京大学史料編纂所東京大学史料編纂所画像史料解析センター10周年記念報告書「画像史料解析センターの成果と課題」を公開した(2007-07-05)。絵画史料、画像史料、古文書画像の3分野の33に及ぶプロジェクトについて、これまでの取り組みを紹介している。114頁に及ぶ力作だが、特に注目すべきは

  1. 遂行経費の概要
  2. WEBによる成果公開

にふれていることだろう。特に要した経費の公開については、これほど大規模なレベルでの公開は類例があまりない。画像史料の電子化に取り組む他の機関や個人にとって、貴重な資料となるだろう。報告書のとりまとめにあたった方々の英断に感謝したい。

なお、一つだけ欲をいえば、現在はPDF形式だけで公開されている報告書だが、早いうちにHTML化してほしい。非常に重要な報告書だけに、アクセスしやすい形式で提供することを急いでほしい。また、HTML化されれば、画像史料解析センターのサイト内にある

・2007年度画像史料解析センタープロジェクト紹介
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/gazo/project.html

といったページからも、報告書の当該個所にリンクすることができ、いま進行しているプロジェクトについてより詳細な情報を提供できるようになるはずだ。そうなることは、東京大学史料編纂所の事業に対する理解を促す点からも意義があるだろう。

東京大学史料編纂所画像史料解析センター10周年記念報告書「画像史料解析センターの成果と課題」【PDF】
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/gazo/CSVS_10report.pdf
東京大学史料編纂所画像史料解析センター
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/gazo/gazo.html
東京大学史料編纂所
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/index-j.html

・「東京大学史料編纂所、画像史料解析センター10周年記念報告書「画像史料解析センターの成果と課題」を公開」(新着・新発見リソース、2007-08-12
http://d.hatena.ne.jp/arg/20070812/1186850913

朝日新聞2007年3月28日夕刊の文化面の連載「こころの風景」で歴史学者・黒田日出男さん(立正大学)が「作品を見ること」というエッセイを書いている。内容がすばらしい。科学研究費補助金を受けた「中近世風俗画の高精細デジタル画像化と絵画史料学的研究」の取り組みを紹介するものだが、こんな文章がある。

研究者なら誰でも、そうした作品の微細な表現まで観察できる環境を生み出していきたい。
出来上がった高精細デジタル画像は、東大史料編纂所の閲覧室や所蔵機関にあるスタンドアローンのコンピューターで熟覧出来るようにする。それらの作品の原本を肉眼で観察する以上に豊かな情報を、誰もが得られるようになる。そのことによって、絵画史料論の研究基盤を新たな水準で構築していきたい。

まったくもって賛成である。ただ一つ気になるのは、黒田さんが想定している環境では「誰もが」の範囲が職業としての研究者に限られかねないことだ。東京大学史料編纂所は一般の市民に対してもそれなりに開放的な機関であるが、市井の歴史愛好家が頻繁に足を運べるところではない。文字通り熟覧できるようにするには、せっかく電子化した絵画史料をインターネットを通して広く公開するほうが現実的である。高精細な絵画史料を好きなだけ眺められる環境が整えば、市井の愛好家から思わぬ知見がもたらされることもあるだろう。そこまでいかなくても、絵画史料を電子化する重要性が広く伝わることになるだろう。もし目立った研究成果が市民から上がってこなくても、絵画史料の電子化に対する理解は進むわけである。それは「絵画史料論の研究基盤を新たな水準で構築していきたい」という黒田さんの夢にも適うことだと思う。

このエッセイを黒田さんはこう結んでいる。

学問とは、できる限り対等な条件のもとで競い合われるべきものであろう。「作品を見ること」を特権化する精神こそ、わたしが最も忌避したいものなのだ。

黒田さんのこの思いにうなずくだけに、対等な条件をわかちあう人々の範囲をもう一歩広げてほしい。

・「「作品を見ること」を特権化する精神」(編集日誌、2007-04-07)
http://d.hatena.ne.jp/arg/20070409/1176074046

さて、「正直げんなりする」というのは、

なお、一つだけ欲をいえば、現在はPDF形式だけで公開されている報告書だが、早いうちにHTML化してほしい。非常に重要な報告書だけに、アクセスしやすい形式で提供することを急いでほしい。また、HTML化されれば、画像史料解析センターのサイト内にある

・2007年度画像史料解析センタープロジェクト紹介
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/gazo/project.html

といったページからも、報告書の当該個所にリンクすることができ、いま進行しているプロジェクトについてより詳細な情報を提供できるようになるはずだ。そうなることは、東京大学史料編纂所の事業に対する理解を促す点からも意義があるだろう。

東京大学史料編纂所画像史料解析センター10周年記念報告書「画像史料解析センターの成果と課題」【PDF】
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/gazo/CSVS_10report.pdf
東京大学史料編纂所画像史料解析センター
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/gazo/gazo.html
東京大学史料編纂所
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/index-j.html

のことだろうか。

もし、そうならそれはそれで残念。PDFをhtmlに変換してほしいという要望一つにげんなりされてもと思う。正直、難しいことを語る必要はなく、たとえ負荷が重く本質的な仕事ではないとしても、どうせやる以上は少しでも多くの人に伝える一工夫ができないものだろうか。その一工夫の有無が東京大学史料編纂所の事業に対する理解や支持を育む一助となると想像できないものだろうか。

・「「作品を見ること」を特権化する精神」(編集日誌、2007-04-07)
http://d.hatena.ne.jp/arg/20070409/1176074046

については、「ここに至るまでを想像してもらえないのには、疲れがきてしまう」との言葉をいただいている。

苦境をそれなりに理解すればこそ、もう一歩踏み出すことで理解や支持を広げることになると私は考えている。だが、その思いを伝えることができなかったのであれば、残念というよりは反省しなくてはいけないだろう。

これでもう精一杯と考えるか、ここであとひと踏ん張りと思うか、どう考えるかは難しいところだが、突き放していえば所詮は当事者が考えるべきことかもしれない。

だが、東京大学史料編纂所が有する史料は東京大学のものでも、史料編纂所のものでもない。1793年(寛政5年)に国学者塙保己一が開設した和学講談所に端を発する東京大学史料編纂所は、やはり日本の市民の資産だろう。そうであれば私も当事者の一人である。そして、当事者の一人として、私はもう一歩踏み出すことで理解や支持を広げることを望み、そこに賭けていきたいと思う。

そうすることは、ただ

東京大学史料編纂所 - ご支援のお願い
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/footer/shien.html

といったアピールを掲げておくより、はるかに意味があるのではないだろうか。

このような記事を書くときは常に迷う。もし、この記事を受けて、たとえば藤原さんがご自身のサイトを閉鎖することになれば、私もまた少なからずショックを受けることだろう。以前、

東京大学史料編纂所が応答型翻訳支援システム試験運用版と日本史史料サイト検索試験運用版を公開(2003-07-07)。後者はとにかくわかりづらい。東京大学史料編纂所のウェッブはどうも利用者の視点が欠けがちだ。加えて、所員の発信をもっと前面に出して欲しい。たとえば、藤原重雄さんによる東京で展覧会カタログを探すには<http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/personal/fujiwara/catalogue-library.html>や高橋慎一朗さんによる醍醐寺文書は呼んでいる!!<http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/personal/shinichi/daigo2.html>など、ここの所員ならではのリソースがあるのだから。

・2003-07-07の編集日誌
http://www.ne.jp/asahi/coffee/house/ARG/diary2003.html

と紹介したことがあればこそ、なおさらである。だが、それでも書くだろう。悩みつつも書くだろう。賭ければこそ書くだろう。

ところで、藤原さんが書いていることで、次の2点が気になる。

大部分を税金でまかなって頂いている側として説明責任もあるし、世間に理解を得るための活動も必要であるが、業務報告をまとめるようなエネルギーは、別のところに使うのが本来のあり方だろうと、やっぱり思うのである。

ここでいう「別のところ」は何を想定しているのだろう。ぜひ語ってほしい。また、

手段としてのインターネットが万人に開かれている(実はウソ)ということと、万人に向けた内容を作らねばならないというのは、かなり異質なことだろう。また、図書館・文書館系の感覚と美術館・博物館系との違いにも戸惑う。「モノ」に奉仕する側面のある後者からすると、前者は何でも「情報」にしてしまうように見える。

は、本質を衝いているようにも思える。非常に重要な論点になりそうな気がするので、藤原さんには、ぜひ

・近況 2008年3月
http://www.asahi-net.or.jp/~YE6S-FJWR/

を上書きすることなく、このまま残していってほしい。