2008-08-29(Fri): 「現代思想」2008年9月号の特集は「大学の困難」

もう久しく手にすることがないが、「現代思想」9月号の特集が「大学の困難」らしい。

現代思想2008年9月号 特集=大学の困難
・「現代思想」2008年9月号(青土社、2008年、1300円)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4791711866/arg-22/
http://www.seidosha.co.jp/index.php?%C2%E7%B3%D8%A4%CE%BA%A4%C6%F1

目次は以下の通り。

  • 亀山郁夫(インタビュー)「人文系大学と人文学の将来について」
  • 野家啓一(インタビュー)「国立大学法人化のジレンマ」
  • 岩崎稔、岡山茂、白石嘉治(鼎談)「大学の困難」
  • 初見基「大学という名の廃墟をあとにして 東京都立大学問題から見る〈文化〉と〈抵抗〉」
  • 西山雄二「大学の名において私たちは何を信じることを許されているのか−ジャック・デリダの大学論における信と場の問いから」
  • 岡山茂「大学改革の日仏比較と学長たちの惑星的思考」
  • 小沢弘明「国立大学の 「選択と集中」−運営費交付金削減の現在」
  • 竹内淳「日本の研究教育力未来のために−競争的施策の課題」
  • 水月昭道高学歴ワーキングプアが照らす大学の闇」
  • 白石嘉治「院生サンディカリズムのために」
  • 仲田教人「群れを呼ぶ大学院生たち−反洞爺湖サミット運動とキャンプ大学」
  • 平井玄「大学は死んだ。地下大学が始まる。」
  • 永田淳「今夜、講義がある 連続講義 「大学の夜」 という実験」

この「困難」はどういう意味の「困難」なのだろう。目次から察するに、前半は大学内部ではよく語られる法人化や競争的資金、オーバードクターの問題等の「困難」と思われるが、大学に籍を置かない人間にとってはいささか食傷気味な話題だろう。もちろん現実に目を閉ざす必要はないが、大学を語る際にまず「困難」を切り出すのはもうやめにしたほうがいいのではないか。まずは希望や可能性を語ることから始めてみてはどうだろうか。人は困難にあってこそ希望を抱く力があるのだから……。

念のためフォローしておくと、

  • 平井玄「大学は死んだ。地下大学が始まる。」
  • 永田淳「今夜、講義がある 連続講義 「大学の夜」 という実験」

は「可能性」を語る論考らしい。

また、

2008-09-19(Fri):
公開共同研究「哲学と大学」ワークショップ「大学の名において私たちは何を信じることを許されているのか」
(於・東京都/東京大学駒場キャンパス
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/events/2008/09/post_29/

という催しが予定されている。ここでは、

  • 竹内綱史「ニーチェ的意味における哲学と大学」
  • 西山雄二「研究空間スユ+ノモ」の挑戦@韓国・ソウル

という2本の発表と、「大学の名において私たちは何を信じることを許されているのか−『現代思想2008年9月号 特集:大学の困難』(青土社)をめぐって」と題された公開討議が行われる。

発言者は以下の通り(敬称略)。

ところで、発言者の一人の大河内泰樹さんは、

・9月11日の同時多発テロ(と報復戦争)に関してドイツ語活字メディアに掲載された論考を紹介するサイト
http://www003.upp.so-net.ne.jp/taiju/home.html

を運営していた方のようだ。