2008-09-24(Wed): 全国図書館大会「「Web2.0時代」における図書館の自由」を巡って(1)−高鍬裕樹さんからの補論

・「全国図書館大会第94回兵庫大会で「「Web2.0時代」における図書館の自由」について発表・討議」(編集日誌、2008-09-19)
http://d.hatena.ne.jp/arg/20080921/1221961101

で当日の発表を幾つか補足したが、ご一緒した高鍬裕樹さん(大阪教育大学)からコメントをいただいた。

・高鍬裕樹さんのコメント
http://d.hatena.ne.jp/arg/20080921/1221961101#c
・高鍬裕樹さん
http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~keikaku/staff/takakuwa.html

せっかくのご発言もコメント欄では気づかれにくいので、ご本人の投稿であることを確認した上で日誌欄に再録する。なお、一部文字化けしている箇所があったのでそこは修正している。

以下、高鍬さんのコメント。

・2008/09/24 00:40のコメント
http://d.hatena.ne.jp/arg/20080921/1221961101#c1222184428

反論をいくつか聞いてください。
まず、住基カード最高裁で合憲となった理由は、保持するデータが(1)氏名、(2)生年月日、(3)性別、(4)住所、の4つに過ぎないことが理由です。最高裁は以下のように述べています。

>そこで、住基ネットが被上告人らの上記の自由を侵害するものであるか否かについて検討するに、住基ネットによって管理、利用等される本人確認情報は、氏名、生年月日、性別及び住所から成る4情報に、住民票コード及び変更情報を加えたものにすぎない。このうち4情報は、人が社会生活を営む上で一定の範囲の他者には当然開示されることが予定されている個人識別情報であり、変更情報も、転入、転出等の異動事由、異動年月日及び異動前の本人確認情報にとどまるもので、これらはいずれも、個人の内面に関わるような秘匿性の高い情報とはいえない。

すなわち、開示されることが予定されていない、本人の内面にかかわるような秘匿性の高い情報であれば、違う判断が出る可能性は高いのです(高裁レベルではこの4情報であったとしてもプライバシーの侵害で違憲だとの判断が出ております)。
紹介いたしましたタタードカヴァー事件は米国の事例ですが、憲法上の価値として表現の自由を持つ国家の判決であり、「ある人の読んだ図書」という内面にかかわる秘匿性の高い情報が国家の手にわたることが萎縮効果を生じるため違憲だという判断は当然日本でも通用するだろうと高鍬は考えています。

もうひとつ。
>公共図書館そのものが「公権力」の一つなのである。

これについてはまったく同感です。そしてそれゆえに、公権力の一部たる公共図書館は住民の思想を把握するような行為をしてはならないのです。
Amazonが顧客の読書傾向を把握してもかまわないのに、警察がそれをやると憲法違反になります。それは、警察が公的機関であり公権力の一部だからです。公権力は憲法に縛られるため、国民の思想の自由や表現の自由を侵害することは許されません。
同様のことが、公共図書館にもいえます。公共図書館は公的機関であり公権力の一部であるために憲法に縛られ、国民の思想の自由や表現の自由を侵害することが許されないのです。

最後に。
高鍬は「法の下の平等」や「結果の平等」をもとにして論を立てたつもりはありません。むしろ、「機会の平等」こそが重要であると考えております。すべての人に同一の機会を提供し、そのうえで図書館を使わない人がいたとしても、それは仕方がないと考えております。
しかし、「機会の平等」が実際に果たされてきたかは十分に考える必要があります。図書館が近くにある地域と、30分も歩かなければ図書館を利用できない地域と、機会が平等だといえるでしょうか。何らかの理由で利用者が図書館を使いにくくなる要因を図書館側が作っておいて、「図書館は平等に機会を提供している、使わないのは利用者だ」というのは図書館の傲慢だと思います。

自己否定と他者肯定の上に立ち、今まで「できない」とされてきたことをもう一度考えてみることは大事なことだと思いますが、しかしそれでも公的機関としてやってはならないことは存在するはずです。高鍬が言いたかったのは、公的機関としてやってはならないことはやらないままで、なおかつ新しいサービスを可能にするような技術や制度を考えていくべき、ということです。そのために、公的機関としてやってはならないことは何で、それはどのような理由によるのかを明らかにしたつもりでいます。


・2008/09/24 08:10のコメント
http://d.hatena.ne.jp/arg/20080921/1221961101#c1222211455

少しばかり追記を。
公権力が受ける制限については、公務員のお歳暮を考えるとわかりやすいと思います。
公務員は、お歳暮などを受け取ることが国家公務員法などにより禁止されています。
善意でお歳暮を贈りたい人もいるかもしれませんが、それでも禁止されています。

例えば、お世話になったお巡りさんにたいしてお礼の意味でお歳暮を贈りたいと考える人がいて、でもそのためには地方公務員法の規定が邪魔だから、当該規定を廃止するよう運動したとします。
仮にその運動が実って規定が廃止されたとすると、その人は自分の思いが遂げられて満足でしょうが、公務員がそのような贈り物を受け取ることで「公務員が賄賂を受け取っているため公平中立な判断ができないのではないか」との疑念が生じ、公務員の中立性への信頼は低下するでしょう。この場合、実際に悪意を持ってお歳暮を贈る人がいるかどうかは問題になりません。判例は賄賂罪について、「職務行為にたいする国民の信頼」がその保護法益であるとしています。
なお贈賄・収賄が成立するのは公務員にたいして金品の提供が行われた場合だけであり、民間人(企業・団体)同士が贈り物をしても何の問題もありません(背任に問われる可能性はあります)。

図書館が貸出記録を利用してサービスを展開する場合に、「誤解による萎縮効果」が起こってはならないと高鍬が主張するのはこれと類似した理由によります。ある人にとって便利だという理由でいま行っている制限を廃止した場合、その人にとっては便利でしょうが、そのことで全体の信頼性を低めてしまう可能性があります。公務員の行為はすべての人が安心できるものでなければならず、その点で貸出記録の利用には慎重でなければならないのです。

高鍬さんのコメントはここまで。