2007-04-07(Sat): 「作品を見ること」を特権化する精神

朝日新聞2007年3月28日夕刊の文化面の連載「こころの風景」で歴史学者・黒田日出男さん(立正大学)が「作品を見ること」というエッセイを書いている。内容がすばらしい。科学研究費補助金を受けた「中近世風俗画の高精細デジタル画像化と絵画史料学的研究」の取り組みを紹介するものだが、こんな文章がある。

研究者なら誰でも、そうした作品の微細な表現まで観察できる環境を生み出していきたい。
出来上がった高精細デジタル画像は、東大史料編纂所の閲覧室や所蔵機関にあるスタンドアローンのコンピューターで熟覧出来るようにする。それらの作品の原本を肉眼で観察する以上に豊かな情報を、誰もが得られるようになる。そのことによって、絵画史料論の研究基盤を新たな水準で構築していきたい。

まったくもって賛成である。ただ一つ気になるのは、黒田さんが想定している環境では「誰もが」の範囲が職業としての研究者に限られかねないことだ。東京大学史料編纂所は一般の市民に対してもそれなりに開放的な機関であるが、市井の歴史愛好家が頻繁に足を運べるところではない。文字通り熟覧できるようにするには、せっかく電子化した絵画史料をインターネットを通して広く公開するほうが現実的である。高精細な絵画史料を好きなだけ眺められる環境が整えば、市井の愛好家から思わぬ知見がもたらされることもあるだろう。そこまでいかなくても、絵画史料を電子化する重要性が広く伝わることになるだろう。もし目立った研究成果が市民から上がってこなくても、絵画史料の電子化に対する理解は進むわけである。それは「絵画史料論の研究基盤を新たな水準で構築していきたい」という黒田さんの夢にも適うことだと思う。

このエッセイを黒田さんはこう結んでいる。

学問とは、できる限り対等な条件のもとで競い合われるべきものであろう。「作品を見ること」を特権化する精神こそ、わたしが最も忌避したいものなのだ。

黒田さんのこの思いにうなずくだけに、対等な条件をわかちあう人々の範囲をもう一歩広げてほしい。