2009-01-12(Mon): 内田樹さんと鈴木晶さんの著作権に関する発言

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来週、大学出版部協会の電子部会で「インターネットの現在と未来、そして学術書の現
在と未来」と題して講演するので(非公開)、その準備をしている。この話題を扱う以上、著作権にふれないわけにはいかないだろう。そう思っていたところに、内田樹さんと鈴木晶さんが著作権について発言していることを知る。

ネット上で無料で読もうと、買って読もうと、どなたも「私の読者」である。
本は買ったが、そのまま書架に投じて読まずにいる人は「私の本の購入者」ではあるが、「私の読者」ではない。
私が用があるのは「私の読者」であって、「私の本の購入者」ではない。

著作権についての議論ではどうもそこのところが混乱しているような気がする。

もの書く人間は「購入者」に用があるのか、「読者」に用があるのか。
私は「読者」に用がある。

・「読者と書籍購入者」(内田樹の研究室、2008-01-07)
http://blog.tatsuru.com/2009/01/07_1103.php

著作権についてうるさく言い立てるのは、著作をひとつのビジネスとして確立しようとしているからである。でも、もしビジネスだとしたら、本が売れないのは作者がビジネスに失敗したということであり、保護されるべきことではない。

・「12月29日(月)」(鈴木晶の優雅な生活、2008-12-29)
http://www.shosbar.com/diary/2008/diary0812.html

いずれも正論であり、まったくもって賛成。この問題は執筆者だけでなく、出版社にも同様だろう。再販制が堅持されていることもあり、出版業界はすでに必要以上に保護されていると思う。この上、いったい何を望むのだろうか。かつて出版業界に身を置き、2年で見切りをつけた者としては、他に責任の所在を求めることをすべて禁止して、まずは自身を顧みるところから始めてほしいと切に願う。思考演習としてでもいい。なぜ、我々はだめなのか、ということを考えてみることはできないのだろうか。

なお、上で紹介した内田さんと鈴木さんのお二人には、本誌第103号(2001-06-26)に、

・「晶・樹のメル友交換日記−インターネットと大学教育/書物とインターネット」
http://www.ne.jp/asahi/coffee/house/ARG/103.html

を再録させていただいている。