2006-06-04(Sun): 授業評価サイトは中傷でいっぱい?(5)

この話題はそろそろ打ち止めにしたいが、最後に大学の授業評価アンケートや授業評価サイトについて述べておきたい。
最初に私と大学の授業評価アンケートの関係について記しておこう。2006-05-29(Mon)の編集日誌「続・授業評価サイトは中傷でいっぱい?」でふれたが、投稿後すぐにご本人が削除してしまったコメントがある。そのなかで私自身が大学の授業評価に何らかの形で、あるいは何らかの立場で関わったことがあるのか、という事実の確認をいただいた。それに答えておきたい。
私は国際基督教大学ICU)を卒業している。ICUはいわゆるファカルティデペロプメント(FD)に早くから取り組み、授業評価アンケートは私が入学した1993年の時点ですでに当たり前に行われていた。このため、まず私は大学の授業評価アンケートに評価する学生の側として参加したことがある。私の最終的な専門は日本政治思想史だったが、途中高等教育論に関心を持った時期があったため、在学中授業評価アンケートのあり方に疑問を持ち、当時の学部長や学生部長、教育学専門の教員たちに意見を出し、学生の視点から改善に努めたことがある。当時は、ICUは授業評価アンケートの先駆例として、メディアに好意的に紹介されることが多いが、その内実は単にアンケートを実施しているという形にとどまる部分が大きいのではないか、果たしてその結果がファカルティデペロプメント(FD)に反映されているといえるだろか、という疑問を強く持っていた。関係者の努力は否定しないものの、授業評価アンケートによってばら色のファカルティデペロプメント(FD)が実現されているわけではなく、そしてそのための取り組みが欠けていると感じていたといえるだろうか。以上、コメントをお寄せいただいた方への答えとなればうれしい。
さて、授業評価アンケートと授業評価サイトについて、もう少し立ち入って考えてみたい。
まず各大学で取り組んでいる授業評価アンケートだが、大学の世界でファカルティデペロプメント(FD)という言葉が普及するとともに、授業評価アンケートの実施例も増えてきた。だが、少々上滑りの感がないだろうか。これはおそらく評価の対象となっている教員の方々がもっとも感じているところではないかとも思う。
そもそもアンケートをなんのためにやっているのか、その合意がとれている大学はどれくらいあるのだろか。アンケート結果を教員一人ひとりが読み込み、次年度の授業の改善するためにやっているのだろうか。それとも、授業評価アンケートをやっているという対外的なアピールのためにやっているのだろうか。私は当然前者であるべきだと思う。だが、実態は教員一人ひとりの思いとは離れて、後者の対外的なポーズになっていないだろうか。2006-06-01(Thu)の編集日誌「授業評価サイトは中傷でいっぱい?(2)」で紹介したような各大学での授業評価アンケートの公開事例をみるとその思いはさらに強くなる……。
ほとんどの公開事例には一貫した姿勢が感じられない。極端なことをいえば、アンケート結果を教員一人ひとりが次に生かす仕組みが整えられ、それが機能しているなら、別に授業評価アンケートを公開する必要もないだろう。あくまでその教員が自らを省みて、実際の授業のなかで改善を果たしていけばよいことである。もっとも、その仕組みが整っていない、あるいは機能していないから、アンケート結果を学内に限って公開したり、インターネットで公開するという一種の強制力が必要とされているのかもしれない。
私が求める一貫性を理想的な形で語るなら、こういうことだ。まず、授業評価アンケートの結果はすべて教員にフィードバックすべきである。そのうえで、アンケート結果に対する教員の見解を求めるべきだろう。結果のうち、妥当と思われるところはどこか、不当な批判や誤解に基づく指摘と思われるところはどこか、結果への賛否を明確に求めてほしい。そして、アンケート結果やそれ以外の気づきを含めて、次回に改善を果たしたいと思う点を明言してほしい。いわばコミットメントである。学内限定であれ、インターネット公開であれ、どうせ公開するならば、授業評価アンケートの単純集計結果に加え、教員のコメントとコミットメントを必ず附してほしい。さらにつけくわえれば、2006-05-30(Tue)の編集日誌「大学による授業評価アンケートの公開事例」で述べたように、そのひとまとまりのデータにシラバスデータベースからアクセスできるようにすべきだろう。ここまでやってこそ、授業評価アンケートを実施する意味も、その結果を公開する意味も、初めて生まれてくるはずだ。
最後に授業評価サイトについて二言三言ふれておきたい。問題投稿の削除はやはり最終的な手段である。特に中傷という理由でサイト運営者に削除を依頼するのは伝家の宝刀だ。おいそれと抜くべきではない。教壇に立つ以上、誹謗中傷を含めてすべてを受け入れるべきだ、とまでは言わないが、その存在すら許せない誹謗中傷とはどの程度のものを指すのだろうか。事実無根の非難であれば、放っておけばよいのではないか。それを読んで誤解する学生もいるという反論があるかもしれない。しかし、それは学生をみくびった考えではないだろうか。誹謗中傷という言葉は、ときとして自分が受け入れがたい主張に対して投げかけるレッテルになりうることを、あらためて訴えたい。犯罪や剽窃への関与をほのめかす非難など、大学の教員として、あるいは研究者として、いやそれ以前に一人の人間としての信頼に関わることでなければ、むしろ静観し、日々の教育と研究、そしてその改善に邁進するほうが建設的ではないかと思うが、どうだろうか。これは授業評価サイトの存在が気になる研究者の方々皆さんにお聞きしたいことだ。

2006-05-25(Thu)の編集日誌「授業評価サイトは中傷でいっぱい?」
http://d.hatena.ne.jp/arg/20060526/1148575116
2006-05-29(Mon)の編集日誌「続・授業評価サイトは中傷でいっぱい?」
http://d.hatena.ne.jp/arg/20060602/1149204122
2006-05-30(Tue)の編集日誌「大学による授業評価アンケートの公開事例」
http://d.hatena.ne.jp/arg/20060602/1149204121
・2006-06-01(Thu)の編集日誌「授業評価サイトは中傷でいっぱい?(2)」
http://d.hatena.ne.jp/arg/20060606/1149524988
2006-06-02(Fri)の編集日誌「授業評価サイトは中傷でいっぱい?(3)」
http://d.hatena.ne.jp/arg/20060606/1149525043
2006-06-03(Sat)の編集日誌「授業評価サイトは中傷でいっぱい?(4)」
http://d.hatena.ne.jp/arg/20060606/1149525084