2007-07-03(Tue): 小著への批評に思うこと
NPO法人サイエンス・コミュニケーションのメールマガジン「SciCom News」第195号(2007-07-02)に掲載された榎木英介さんの記事「ウェブ2.0をどう使うか」に次の一文をみつける。
・サイエンス・コミュニケーション
http://scicom.jp/
これからホームページをつくる研究者のために―ウェブから学術情報を発信する実践ガイド (単行本)
岡本 真 (著) ¥ 2,940 (税込) 築地書館 (2006/07)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/480671335X/nposciencec0d-22/などを参照にして、是非多くの研究者が情報発信してほしいと思う。
なお、この本のアマゾンの辛らつなレビューを読んで、研究者は研究成果を論文だけで発表していればよい、という考え方がまだ根強いということを感じた。
あと、研究者はなんでもできるという「万能感」を持つ人が多いことも感じた。これはあらためて考えてみたい。
・「SciCom News」第195号(2007-07-02)
http://blog.mag2.com/m/log/0000116394/108715036.html
いい機会なので、私も酷評いただいた
・canberraactさん「何の社会的意義もない」(2007-01-22)
・awaawaさん「今さら何の意味があるのか」(2006-08-05)
について述べておこう。これまでもこのお二人の批評に反応しようと思っていたが、あまりに馬鹿らしいのでしないできた。しかし、やはり書いておくことにする。まずはお二人の書評をお読みいただきたい。カスタマーレビューの欄に掲載されている。
・『これからホームページをつくる研究者のために−ウェブから学術情報を発信する実践ガイド』(岡本真著、築地書館、2006年、2940円)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/480671335X/arg-22/
まずは、
・canberraactさん「何の社会的意義もない」(2007-01-22)
から。
canberraactさんの批評には、こういう一節がある。
そもそも研究者の研究業績は著書や論文という形で公開情報となっており、そうした公開情報を検索する多様なデータベースがネットでも公開されている
そのデータベースをぜひ具体的に教えてほしい。もし、そういうデータベースが実在するのなら、ACADEMIC RESOURCE GUIDE(ARG)でもぜひ紹介したいものだ。
こういう一節もある。
本書は単に研究者のネット上のページ(広い意味での著作物)を転載・取りまとめたものであり、著者本人の独創的な知的試みは何ら存在しないと言ってよい
本文はすべて私が自分の手で書いたものであり、canberraactさんの指摘は「単に」事実誤認と思いたい。だが、いずれにせよ、「転載・取りまとめたもの」には、「著者本人の独創的な知的試みは何ら存在しない」というcanberraactさんの認識には一般論としても異を唱えたい。再録や編集によってのみ成り立つものであっても、そこには取捨選択する上で価値判断が働いている。それを否定するということは、現在著作物とされているものの相当数に対して「独創的な知的試みは何ら存在しない」と言っているようなものだ。canberraactさんはAmazonで約150本のレビューを書いているが、たとえば、誰かがその150本から30本を厳選して、「Amazonベスト1000レビュァー入魂の30篇−canberraactさんのレビューライフ」というリンク集を編んでも、それには「独創的な知的試みは何ら存在しないと言ってよい」と言えるのだろうか?
過去のレビュー内容を拝見すると、canberraactさんとは私は基本的なものの考え方が違いすぎるので、正直理解しあう気はないのだが、最後に一つだけ。canberraactさんはレビューをこう結んでいる。
知的生産物を生み出している研究者に対して、あくまでも付加的なホームページの作成法について「指導」するが如きの設定は、怠慢を通り越して、傲慢というに等しいものということができよう。
設定云々は誤読としかいえないのだが、それはそれとしてあえて言えば、傲慢でなければACADEMIC RESOURCE GUIDE(ARG)の活動もしていないし、小著を刊行したりもしない。その意味で「傲慢」であることは悪だろうか?
次に
・awaawaさん「今さら何の意味があるのか」(2006-08-05)
について。
「今さら何の意味があるのか」という問いを発しているが、意味がないと思っていたら、わざわざ本にする手間暇をかけるものだろうか?
さて、
智恵のない研究者は論理矛盾だ。研究者にサイトが必要なら、自分で調べるはずだ。具体例が見たければ、日本よりもっと進んでいる海外のサイトを参考にすればいいだけだ。
という一節にawaawaさんの主張は尽くされているようだが、研究者は「神」ではない。自分の経験ベースで語るのは好ましくないが、私は数百人の研究者とおつきあいさせていただいていると思うが、awaawaさんが求めるような研究者はめったにいない。語弊がある言い方だろうが、大部分の研究者にとって一義的に意味があるのは、研究そのものであって、その伝達ではない。だからこそ、学術出版というものがこれまで成り立ってもきたわけだ。万一、awaawaさんが研究者であるなら、自分の目指す途を歩んでほしいが、願望と現実を混同してはいけない。
また、蛇足ではあるが、「具体例が見たければ、日本よりもっと進んでいる海外のサイトを参考にすればいいだけだ」という指摘は理解に苦しむ。もし、awaawaさんが「日本よりもっと進んでいる海外のサイト」を知っているのであれば、ぜひ実例をあげて教えてほしい。誰しもが納得するような、つまり日本の研究者は誰の目にも遅れていると言い切れるほど、日本より進んでいる研究者のサイトというものがあるのなら、それもACADEMIC RESOURCE GUIDE(ARG)でぜひ紹介したいものだ。
*
以上、反論終了。残念に思うのは、canberraactさんやawaawaさんがこれを読んで私に反論しようとしても反論のしようがないことだ。Amazonのレビューは仕組み上、一度投稿すると同じ書籍に対しては再投稿できないので、Amazonのレビュー上で私に反論することはできない。そして、私に直接メールしてきたり、ブログでコメントしてきたりしても、私にはその方がcanberraactさんやawaawaさんご本人であると確かめる手立てがない。当然、いただいたメールやコメントには反応のしようがないと私自身が感じることだろう。非常にそれが残念である。
ところで、お二人はどのような思いで批評をするのだろうか。それが純粋に不思議だ。私は対象が書籍であれ、サイトであれ、批評をする際の絶対のルールとして、叩くことを目的に批評はしないと決めている。手厳しい指摘を加えることもあるが、その対象は基本的に税金でまかなわれている活動や組織に限っているつもりだ。このルールは恩師に負うところが大きい。批評するということを学んだ頃、批評対象の出来不出来に関わらず、建設的な何かを見出すようにと厳しく指導されたことを思い出す。ただ叩くためだけの批評に人生を費やすことは、それが数分であっても取り返しのつかない損失ではないだろうか。
ところで、1つショックなことがある。Amazonによれば、
・canberraactさん「何の社会的意義もない」(2007-01-22)
21人中、12人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
・awaawaさん「今さら何の意味があるのか」(2006-08-05)
55人中、20人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
となっている。このお二人の主張にうなずいた方が最大で32人もいるのかと思うと気が滅入る。冒頭に引いた榎木さんの
なお、この本のアマゾンの辛らつなレビューを読んで、研究者は研究成果を論文だけで発表していればよい、という考え方がまだ根強いということを感じた。
あと、研究者はなんでもできるという「万能感」を持つ人が多いことも感じた。
という感慨に私もうなずいてしまう。
canberraactさんやawaawaさんの批評が決定的にダメだしされるほど不人気になっていないということは、世間を騒がすWeb2.0の集合知もこの程度と思うべきなのだろうか。それとも、私も慎んで潔斎修行に励むべし、ということなのだろうか。
・『これからホームページをつくる研究者のために−ウェブから学術情報を発信する実践ガイド』(岡本真著、築地書館、2006年、2940円)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/480671335X/arg-22/