2008-07-25(Fri): 専門図書館協議会全国研究集会に参加−2日目
昨日に引き続き、
2008-07-24(Thu)〜2008-07-25(Fri):
平成20年度専門図書館協議会全国研究集会
(於・京都府/同志社大学今出川キャンパス、京都リサーチパーク)
http://www.jsla.or.jp/1/13/13-2.html
に参加。
・「専門図書館協議会全国研究集会に参加−1日目」(編集日誌、2008-07-24)
http://d.hatena.ne.jp/arg/20080726/1217076216
2日目は場所を京都リサーチパークに移している。
・京都リサーチパーク
http://www.krp.co.jp/
自分は、
- 第1分科会「頑張る図書館−関西地区からのメッセージ」
- 第5分科会「アーカイブズの現状と今後」
- 小分科会
に参加した(敬称略)。小分科会ではコメンテーター的な役割。
以下、当日印象的だったことを中心に。
・「大阪府労働情報総合プラザ・大阪社会運動資料センターの存続を巡って(7)」(編集日誌、2008-07-23)
http://d.hatena.ne.jp/arg/20080726/1217076151
で記したように、直前に大阪府の予算が成立し、大阪府労働情報総合プラザの廃止が決まった状態で話された谷合佳代子さんは相当辛いものがあったと思う。その中でも経費を1/4に削減しつつ利用者を4倍にしたという数値に基づく実績を述べ、大阪府の判断への異論を唱えた意義は大きい。また、ブログを中心としたインターネットを活用した広報・マーケティングの内容を経験に基づいて語っていたのが印象的だ。同時にそれだけの取り組みにも関わらず、大阪府労働情報総合プラザの廃止という結果については広報の失敗があると分析されていたことには深い感銘を受けた。
大阪府労働情報総合プラザの廃止を受けて、大阪社会運動資料センターはエル・ライブラリー(仮称)にリニューアルする予定とのことだが、ここでくじけることなく、新しい形の図書館を生み出していってほしい。
木下みゆきさんが話した大阪府立女性総合センター(ドーンセンター)の場合は、少し事情が異なる。大阪府の検討の結果、「自立化」に向けて1年の猶予期間が持たれることになった。木下さんがこれからの課題として、「仕事を見せること」、そして「できないことも見せること」を挙げていたが、これは重要なことと思う。さらに一歩進んで、その「できないこと」をできるようにするには、どのような支援や対価が必要なのかを主張していくことが必要となってくるだろう。
なお、今回の存続問題を巡って、大阪府立女性総合センター(ドーンセンター)が、
・「府財政再建プログラム案「男女財団自立化」に対するコメント」(大阪府男女共同参画推進財団、2008-06-05)
http://www.dawncenter.or.jp/topics/topics_view.jsp?id=2693
・「「男女共同参画推進財団自立化」の1年延期について」(大阪府男女共同参画推進財団、2008-07-24)
http://www.dawncenter.or.jp/topics/topics_view.jsp?id=2753
という見解表明を行ったことは自立に向けての貴重な一歩だと思う。1日目に片山善博さんが強調していた「自立とは、自ら考え、自ら判断・決定し、自ら行動する」という言葉につながるところだろう。これは言いかえれば「自由」ということだろう。安易な自立民営化論に与するつもりはないが、図書館の自立性や図書館の自由をあらためて考える機会となった。苦しい胸の内や穏やかではない心中を抑えて、非常に参考となる実践例を話してくださった谷合さんと木下さんに感謝したい。
・「専門図書館協議会全国研究集会に参加−1日目」(編集日誌、2008-07-24)
http://d.hatena.ne.jp/arg/20080726/1217076216
最後の小分科会は予想以上の参加者であった。ご参加いただいた皆さまに感謝したい。ここでも議論は「見える化」が中心であったように思う。以下、乱雑だが、思ったことをつづっておこう。
「見える化」という場合の対象は仕事と個人の2つがありうる。図書館の仕事を見える化することの重要性は言うまでもない。1日目の基調講演で片山さんが語っていた市町村長に対する図書館のアピールはその好例だろう。だが、ここでより重視すべきは、個人のほうだ。なによりも全国研究集会の総合テーマのサブタイトルは「成長するライブラリアンへ」と、個人に注目しているのだから。
自分自身を見える化するということは、図書館員にとってかなり難しいことはよくわかる。ましてや、図書館外にも通用する魅力あるロールモデルを確立すること相当難しいだろう。なぜなら日本においては図書館員は個としての確立を求められることが少ないのかもしれない。この問題は日本語での表現が端的に表している。ライブラリアンのことを日本語では「図書館員」ということが多い。「図書館」+「員」がライブラリアンであるという構造。見方によっては、「図書館」に籍がなければ、「図書館員」ではないわけだ。図書館という箱物施設を前提としている存在。それが日本における図書館員。
ちなみに、「Librarian」と「図書館員」の差異はWikipediaの英語版と日本語版にもよく現われている。
A librarian is an information professional trained in library and information science, which is the organization and management of information services or materials for those with information needs.
・Wikipedia - Librarian
http://en.wikipedia.org/wiki/Librarian
図書館員(としょかんいん)とは、図書館においてその業務に従事する者のことである。
・Wikipedia - 図書館員
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8%E5%93%A1
図書館員の方々にうかがいたい。みなさんは図書館を辞めたり、図書館がなくなったりすると、図書館員ではなくなるのだろうか?
そうではないし、そうであってはいけない。第1分科会で谷合佳代子さんが「これからは歌って踊れる図書館員ではなく、図書館をつぶされた図書館員」と名乗ろうかと思うという趣旨のことを述べていたように思う。この精神は重要だ。たとえば、研究者は大学を辞めても、大学に属していなくても研究者であるという自負を持つはず。ジャーナリストも同様。その他、専門職とみられる仕事はすべからくその自負と覚悟がある。ご本人不在の場で申し訳なかったが、小分科会で繰り返し谷合さんを持ち上げたのは、そういうことだ。谷合さんは大阪府労働情報総合プラザや大阪社会運動資料センターがあろうがなかろうが、図書館員であるという覚悟を示していた。だから、私も生涯忘れ得ない図書館員の一人と述べたわけだ。
自分自身のキャラを立てていく方法として、越山素裕さんや森田歌子さんといったベテランの方々から非常に有効なアドバイスがあったと思う。常に自分に尋ねてもらうようにお得意先をつくること。内部ではなく外部に味方をつくること等々。もちろん、そうすることは自分でリスクを背負うことにもなるのだが、得るものも大きいはず。個としての自立を、特に精神的な自立を果たすということは一回限りのものではない。個としての自立ができているか、常に問われるという厳しい日々だ。だが、私個人の経験に基づいていえば、その負担に見合うどころか、その何倍もの充実感を自分にもたらしてくれるはずだ。
さてさて、とはいったものの、最後は図書館員一人ひとりが自分で決めること。「自立とは、自ら考え、自ら判断・決定し、自ら行動する」ことなのだから。さあ、あなたはどうする?