2006-05-24(Wed): 講演「Web2.0時代の図書館 −Blog, RSS, SNS, CGM」の補足

昨日、情報科学技術協会の総会で「Web2.0時代の図書館 −Blog, RSS, SNS, CGM」と題して講演させていただいた。あいにく質疑応答の時間がとれず、その後の懇親会の場で数名の方々から同じことをお尋ねいただいたので、あらためて自分の考えを記しておきたい。
講演では一つのモデルケースとして、図書館にはAmazon.comのような仕組みをつくる資産が眠っているという話をした。具体的には貸出記録を利用することで、Amazon.comのレコメンド(関連書籍の推薦)のような仕組みが図書館にもつくれるのではないか、という提案である。講演の題目が「Web2.0時代の図書館」であったため、いかにして利用者の集合知を活用するか、という観点でこのような話をした。
これに対し、懇親会の席上で次のようなご質問をいただいた。

図書館の貸出記録は利用者のプライバシーに属するので、そもそも保存期間が短いうえに、提案にあったような転用は難しいのではないか?

確かにご指摘は正しいのだが、あえて言えば、最初からできない理由を挙げてはいけない、とお答えしたい。そして、図書館を特別扱いしてはいけない。Amazon.comにとっても、レコメンドの仕組みに利用している顧客の購入履歴は決して流出してはいけない情報だ。万一、大規模に流出しようものなら、Amazon.comは倒産しかねない。その意味ではプライバシーを漏らしても倒産することはまずない図書館のほうがはるかにリスクが低い。
要するに、新幹線を開発した島秀雄さんの言葉ではないが、「できる」ということより、「できない」と言い切るほうが難しい、ということだ。「できない」と思える理由があるなら、それを一つひとつつぶしていけばよい。
そして、もう一つ。必ずしもITに限ったことでなく、効果的な方法には常に危険が伴うところがある。便利さと安全は表裏一体の部分がある。そのとき大切なことは、リスクを負ってでも進めるだけのメリットがあるかどうか、特に利用者にそのことを理解してもらえるかどうか、ということだろう。なにを進めるにしても、デメリットを補ってあまりあるメリットがある、ということを示さなくてはいけないのだ。
そして、図書館の世界に限って、あえて突き放して言おう。「できない」に終始している限り、多くの図書館は衰退の一途をたどることだろう。それでもなお「できない」ことに固執するのであれば、図書館は衰退する時期にさしかかっただけに過ぎないのではないか。もしそうならば、図書館は民主主義の装置と信じる私ではあるが、やむをえないことと思う。いまある図書館だけが民主主義の装置であるわけでもなく、異なる形で民主主義の装置をはぐくんでいけばよいだろう。

「図書館は民主主義の装置と信じる」の補足として、学生時代に戦後の日本の図書館政策に大きな影響を与えた"Education in Japan"(Civil Information & Education Division, GHQ/SCAP)や『アメリカ教育使節団報告書』(講談社学術文庫253)を読んだことを述べておきたい。戦後の図書館政策史については、東京大学の根本研究室による占領期図書館史プロジェクトが詳しい。

情報科学技術協会
http://www.infosta.or.jp/
・『アメリカ教育使節団報告書』(講談社学術文庫253)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061582534/arg-22/
・占領期図書館史プロジェクト
http://plng.p.u-tokyo.ac.jp/text/senryoki/
・根本研究室(根本彰さん)
http://plng.p.u-tokyo.ac.jp/