2008-05-24(Sat): 研究会文化の違い−情報処理学会 人文科学とコンピュータ研究会第78回研究発表会に部分的に参加して

・「明日から京都へ」(編集日誌、2008-05-22
http://d.hatena.ne.jp/arg/20080523/1211508137

で記したように、

2008-05-23(Fri):
情報処理学会 人文科学とコンピュータ研究会第78回研究発表会
(於・京都府立命館大学
http://www.jinmoncom.jp/

に参加してみた。ただし、一日を通してではなくあくまで部分的な参加である。

ここで個別の研究発表に対してコメントはしないが、3つだけ感想を記しておきたい。批判ととっていただいても構わない。言いたいことは以下の3点。

  1. 発表者は時間厳守を
  2. 討論の価値の尊重を
  3. 研究発表では研究を

まず、私が参加した範囲では発表者一人の発表時間が30分ほどあったが、発表者のほとんどが持ち時間を超えて話していた。これは論外。予稿もつくっている以上、研究の骨子を踏まえたうえで、自分の問題意識や問題設定、具体的な本論を要点をまとめて話す努力をするべきだ。仮に発表内容がどれだけよくても持ち時間をオーバーした時点ですべて台無しになることをもっと強く自覚する必要がある。情報処理学会では他の研究会にも幾つか出ているが、時間管理がこれほど徹底されていない研究会は初めてだった。発表者へのコメントの中で時間厳守を求める声もあったが、そもそもは司会が発表者に発表を打ち切らせるべきだと思う。

時間厳守の話に通じるが、発表を受けての討論にもっと時間を割くべきではないだろうか。発表者の持ち時間30分に対して質疑の時間は5分程度しか確保されなかったことは非常に残念。論文発表と異なり、口頭発表はその場でのディスカッションで揉まれることの意味が大きい。発表者1名につき質問者がほぼ1名しか回らない時間配分になるのであれば、そもそも最初から会場質疑は行わず、コメンテーターを立てるべきだ。また、発表者が時間内に発表を収めきれないのは、発表時間を確保し過ぎているからとも思う。1発表につき30分以上の時間を確保するのであれば、発表に20分、質疑に15分くらいが妥当なところではないだろうか。

発表の中には私的な体験談が中心と思えるものもあった。もちろん、私的な経験に基づいて語ることが悪いとは思わない。場面によっては、私的な体験を公開することが大きな意味を持つこともある。だが、経験を語る際には一般化や概念化が必要だ。それがなければ、せっかくの体験の公開も共有にまでは至らない。青臭い発言と思われるかもしれないが、学問には概念を用いることで一般化や普遍化を行うという重要な役割がある。その役割が失われれば、学問は学問でなくなることに危機感を持つ必要があると思う。

以上、偉そうなことを書いていることは重々承知だが、言葉を発する必要があると思うので書いておく。

以下、余談だが、こと個別の研究発表やパネルディスカッションの前の個別報告では、時間厳守は絶対的なことと思う。与えられた時間内で自分が語るべきことを語りきれる自信、あるいは語りえないことを切り落とす勇気と準備がないのであれば、そういう人は発表や報告をすべきではない……。と言ってしまうと身も蓋もないので、せめて、こう言いたい。発表する以上は何度でも予行練習を、と。