2009-04-09(Thu): 読書記録−横山伊徳、石川徹也編著『歴史知識学ことはじめ』(勉誠出版、2009年、1785円)

・「買おうかどうか迷う本−『歴史知識学ことはじめ』と『社会科学情報のオントロジ−社会科学の知識』」(編集日誌、2009-03-18)
http://d.hatena.ne.jp/arg/20090322/1237692876
・「いただいた本−『歴史知識学ことはじめ』『レファレンスサービスのための主題・主題分析・統制語彙』『法情報サービスと図書館の役割』」(編集日誌、2009-04-04
http://d.hatena.ne.jp/arg/20090405/1238918528

と紹介してきた

・横山伊徳、石川徹也編著『歴史知識学ことはじめ』(勉誠出版、2009年、1785円)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4585003061/arg-22/

を読み終えたので簡単な感想を。目次は以下の通り。

  • 歴史知識学のめざすもの(横山伊徳)
  • 序章 「歴史知識学の創成」研究(石川徹也)
  • 第1部 歴史知識化システム研究−情報学の立場から
    • 第1章 史料のデジタル化(前沢克俊、伊藤直之)
    • 第2章 史料検索システム(伊藤直之)
    • 第3章 編纂史料からの人物情報の抽出(北内啓、城塚音也)
    • 第4章 人物史データベースの構築(赤石美奈)
    • 第5章 翻刻支援システム(山田太造)
  • 第2部 編纂研究の共有化プロジェクト−歴史学の立場から
    • 第6章 鎌倉遺文を対象とするVirtual Laboratory構築プロジェクト(遠藤基郎)
    • 第7章 21万通の古文書を集める(近藤成一)
  • 第3部 歴史知識学への期待
    • 第8章 歴史知識学の意義(松岡資明)
    • 第9章 文理融合研究への期待(堀浩一)
    • 第10章 討論−歴史知識学の可能性
  • おわりに−「歴史知識学の創成」ことはじめ(石川徹也)

http://www.bensey.co.jp/book/2091.html
を基に著者等を追加。

さて、本書は、

2008-11-22(Sat):
東京大学史料編纂所 前近代日本史情報国際センター 公開研究会「歴史知識学の創成」
(於・東京都/東京大学 山上会館)
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/index-j.html

の内容を一部再構成したもので、この研究会は以下のプラグラムで実施されている。発表題目の右に矢印で附したのは該当すると思われる本書の章。

東京大学史料編纂所 前近代日本史情報国際センター 公開研究会「歴史知識学の創成」【PDF】
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/news/2008/cdps_workshop_2008.pdf

本書は、伝統的な学問である歴史学に情報学という比較的新しい学問の手法を取り入れてきたこの四半世紀の現状報告といったところだろうか。図書館学と情報学がもっと接近するべきである、つまり両者は離れすぎていると主張することが多い自分としては、歴史学、特に東京大学史料編纂所における取り組みは、こういった分野間融合の可能性を示してくれる内容であり、その点では十分に満足感のある内容だ。だが、同時に本書の書名にも掲げられている歴史知識学の現時点での限界も感じさせられた。

第3章「編纂史料からの人物情報の抽出」(北内啓、城塚音也)にこういう記述がある。

「人物情報抽出システム」の開発プロジェクトの中心的な取り組みは人物データベースの構築ですが、最終的にはそれを活用するための検索・閲覧システムも必要になります。
(43〜44頁)

以降、それでは使いやすい検索・閲覧システムを実現するためには何が必要かが論じられるのだが、この中心的な取り組みとしてのデータベースの構築と、最終的な活用形としての検索・閲覧システムの開発の対比は、本書を語る上で非常に象徴的だ。

大学や企業に籍を置く歴史学や情報学の研究者によって語られるデータベース構築の実際は、多くの人が抱いている歴史学のイメージを鮮やかに打ち砕いてくれるだろう。ともすれば、埃をかぶった古書を紐解いていくという「いかにもな」歴史学はここにはない。史料のデータベース化がもたらしうる可能性には、大きな期待を抱きもするだろう。史料群の中に眠る未知の可能性を具体的な手法も含めて提示している点は、本書に限らず、歴史知識学の醍醐味をよく伝えている。

だが、一歩引いて、活用するための検索・閲覧システムとなると、本書では決して多くは語られていない。検索・閲覧のためにどのような配慮がなされているのか、どのような活用を考慮しているのか、そして、そもそも誰が活用すると想定しているのか等々。デジタルアーカイブの分野でも語られていることだが、どのような利用・活用の実現をイメージしてデータベースが構築されているのか、データベース構築と検索・閲覧システムの開発をつなぐべき一本の線がはっきりとは見えてこない。この点は本書の課題であり、この課題に答えられない限り、歴史知識学の創成はごく限られた領域でしか実現しないのではないかと危惧してしまう。

少し本書から離れれば、東京大学史料編纂所のウェブ発信のあり方に対して、私は数年前から批判を続けている。

利用にあたってはまず「東京大学史料編纂所データベース」のページに入り、利用するデータベースとして「鎌倉遺文フルテキストDB」を選択しなくてはいけない。せっかく優れたデータベースが多数あるにも関わらず、この構造のためデータベースに直接リンクして紹介できないことが多い。東京大学史料編纂所にはこの構造の見直しをお願いしたい。いち早くデータベースの開発に取り組んできた東京大学史料編纂所だが、ウェブでの発信における利便性や操作性の改善については無頓着すぎると思う。

・「東京大学史料編纂所、鎌倉遺文フルテキストデータベースを公開」(新着・新発見リソース、2006-10-17
http://d.hatena.ne.jp/arg/20061017/1161018857

今回東京大学史料編纂所のスタッフが中心となって編まれた本書を読むと、なるほど、これでは史料編纂所のサイト構築が一向に改善されないわけだと妙に納得するところがあった。データベースの構築は重要ではあるが、そこに傾斜するあまり、フロントエンドのインターフェースが置き去りにされているのではないだろうか。ウェブの仕事を10年続けてきた知識と経験に基づいていえば、最終的にどのように利用・活用してもらうのか、その絵を描かない限り、この先何十年にも渡って有効なデータベースの設計・構築はできないと思うのだが、史料編纂所の方々はどのように考えているのだろうか。

ここで連想するのが、図書館システムのことだ。図書館システムも実に様々な課題を抱えている。図書館システムの問題を見るにつけ、先駆的であったがゆえにかえって問題に直面しているというアイロニーを感じなくもない。ほとんどの人がウェブのこれほどの隆盛を想像しえなかった時代にシステム開発が進められたため、かえってウェブ時代に対応できなくなっているのが、いまの図書館システムだと思っている。「歴史情報研究に取り組みはじめて四半世紀が経とうとしている」(序章)という東京大学史料編纂所も、実はこれと同じ課題を抱えているのではないだろうか。

このことは研究会での基調講演に基づくと思われる第8章「歴史知識学の意義」(松岡資明)でも指摘されている。

冒頭で紹介したデータベースにはおおいに問題があります。特に大型コンピューターの時代に作られたデータベースをはじめとして死屍累々と言われています。せっかくの研究成果がほとんど社会に生かされていない。データベースは日常的に多くの人の目にさらされ、内容が修正改善されていかないと、なかなかすぐれたものにならないと言います。人間文化研究機構のような大組織がつくった巨大なデータベース群は別としても、小さなデータベースをどう保全、維持してゆくのかも大きな問題となるでしょう。
(139頁)

この指摘をしているのが、歴史学者ではない松岡資明さんという点もまた象徴的だ。

課題の指摘が多いように思われるだろうが、これは可能性に期待すればのことと思ってほしい。歴史知識学が切り拓くのは、歴史学の未来だけでない。歴史との関係を抜きには語れないほとんどの学問が、歴史知識学の創成に恩恵に預かることだろう。だが、現状のようにデータベースや大規模システム開発に偏った体制では、せっかくの可能性が半減してしまう。本書で示された可能性がどのように実現し、課題がどのように解決されていくのか、

・前近代日本史情報国際センター
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/cdps/cdpsindex.html

をはじめとする東京大学史料編纂所の今後に注目したい。

以上、いろいろと書いたが、要するに歴史学に関心がなくても情報のこれからに関心がある方にはおススメの一冊であることは、誤解のないように申し添えておきたい。

歴史知識学ことはじめ